今のままの君でいて
 大学が夏休みに入ると、誰にも内緒で2週間だけバイトをする事にした。
その目的は、最新型のスマホを買うためだった。3つ年下の彼が欲しがっていたから、サプライズでプレゼントしようと思ったんだ。
彼の名前は、リオン。
ルックスは完璧だけど、ひどく生意気なクソガキだ。
年上の僕に対してまったくリスペクトがなく、2人の関係性は常に彼が上位で、こっちはいつも泣かされてばかりだった。
それでも、リオンが好きだった。
ひどく生意気で、まったく可愛げのない奴だけど、僕はいつもリオンの事ばかりを考えていた。


 新しく始めたバイトは、クリーニング店の配達業務だった。 クリーニングを終えて綺麗になった商品を、車でお客さんの家まで届けるのが僕の仕事だ。
これが意外と大変で、最初はバイトを始めた事を後悔した。 配達する物を自ら車の中へ運び入れ、一軒一軒家を回って届け物をするというのは、思った以上にハードな仕事だったんだ。
その上雑用を手伝わされる事もあって、毎日クタクタになるまで働いた。
「牧田くん、これ奥に運んで」
また始まった。夕方配達を終えて店に戻ると、必ず余計な仕事をやらされるんだ。
店主は70歳ぐらいの優しそうなお爺ちゃんに見えるけど、かなり人使いが荒かった。
でも2週間だけだから、我慢しよう。
僕は自分にそう言い聞かせ、大きなプラスティックのケースに入った洗濯物を作業場へと運んだ。
1つ目のケースにはワイシャツばかりが入っていて、それには1つ1つ襟元にお客さんの名前を書いたタグが付けられていた。
タグはそれがどの人の物であるかを識別する役割をしていて、目立った汚れのある物にはコーヒーのシミとか、油汚れとか、そういった情報も記載されていた。
僕は汗だくになりながら、ケースを3つも運んだ。外はかなり暑かったけど、クリーニング店の作業場はそれ以上に暑いのだ。
「その布団も持っていってよ」
店主の声が遠くから聞こえ、一旦休んで顔の汗を拭ってから、2つに折られた敷布団に手をかけた。
しかし僕は、それをすぐには持ち上げられなかった。布団に付いているタグに、釘付けになってしまったからだ。
八反田アズリ おねしょ
そこには店主の文字で、そう書いてあった。
珍しい名前だから、絶対に間違いない。それはリオンの母親の名前だった。


 翌日の夜。僕はリオンとカフェにいた。
僕たちが会うのは5日ぶりだった。 彼の高校もやっと夏休みに入り、これからはゆっくり会える時間が増えそうだと思っていた。
カフェには冷房を求める客が次々と来店した。
この日は1日中暑くて体力が消耗され、バイト帰りの僕はすごく疲れていた。 それでも窓際の席でアイスコーヒーを飲むと、少しは元気を取り戻す事ができた。
「お前、やつれてるな」
向かい合って座っている彼が、チラッと僕を見てそう言った。
いつも通りの、お前呼ばわりだ。僕は彼にまともに名前で呼んでもらった事が一度もないのだった。
リオンは黒のシャツが悔しいぐらいによく似合っていた。知らないうちに、髪の色は明るい茶色に染められていた。
リオンはとても綺麗な子だった。透き通るような肌が印象的で、鼻筋が通っていて、皆が彼を振り返る。 少し痩せすぎている気はするけど、身長は僕より15センチも高い。
だけど口は悪いし、生意気だし、本当に可愛げのない奴だ。
久しぶりに会えたのに、今はスマホをいじって遊んでいる。
「今日は何してた?」
たまに喋ったと思ったら、目は僕ではなくスマホに向いていた。2人の関係性はいつも彼が上位で、僕はスマホ以下の存在のようだった。
それでもこの日の僕には余裕があった。それはもちろん、リオンの最大の弱点を知ったからだ。
「お前何ニヤニヤしてるの? 暑さで頭がおかしくなったのか?」
だからこそ、こんな事を言われても平気だった。
リオンは両親と3人暮らしで兄弟はいない。おねしょをするとしたら、どう考えても彼しかいないのだ。
いつも生意気な彼がおねしょをするなんて、なんだかちょっと嬉しいじゃないか。


 バイトの最終日。その日は空が曇っていた。
夕方までに配達業務を終えた僕は、店へ戻る前にリオンの家ヘ向かっていた。少し前にメッセージのやり取りをして、彼が家にいる事は分かっていた。
僕は今、最新型のスマホを車に乗せて走っている。それは昨日のうちに購入していて、バイトの最終日に渡そうと思っていたのだ。
ずっと前から計画していたサプライズを、リオンはもちろん知らない。彼はいきなり訪ねてきた僕に、すごく驚くはずだ。
次の交差点を曲がると、彼の住む家が見えてくる。壁が白塗りで庭に花が咲いている、とても可愛らしい家だ。
ずっと欲しがっていた物を手渡した時、彼はいったいどんな顔をするだろう。

 僕は彼の家の前に車を停め、愛用のリュックを肩に掛けた。
インターフォンを鳴らして庭の中を覗くと、そこには白い花がたくさん咲いていた。
ガチャッと音がして、玄関のドアが開いた。
白いティーシャツを着たリオンは、突然の僕の訪問に怪訝な顔を見せた。
「お前、何しに来たんだ?」
またここでもお前呼ばわりだ。でもそんな事は、この際どうでもいい。
「今、バイトの帰りなんだ。近くに来たから寄ってみたんだよ」
リオンは特に表情も変えず、ただ黙っているだけだった。
僕の方は必要以上にニコニコして、サプライズの計画を粛々と進めようとしていた。
「僕が来てびっくりした?」
その後彼が何を言うか、とても楽しみにしていた。だけどリオンは、険しい顔をして僕を見つめるだけだった。

 2人が見つめ合っている間に、背中の後ろを何台もの車が通り過ぎて行った。
しばらく沈黙が続いた後、リオンは僕の腕を引っ張って、強引に家へ招き入れた。
「やらせろよ」
低い声でそう言われ、返事もしないうちに彼の部屋へと連れ込まれた。そこまでは、本当に一瞬の出来事だった。
初めて入るその部屋は、とても広くて空気が乾いていた。壁一面に、リオンの好きなロックバンドのポスターが貼ってある。
彼はカーテンも引かずに僕をベッドへなぎ倒した。体を強く押さえ付けられ、すぐに唇を奪われる。
やばい。怒ってる。
キスをした時、それがすぐに分かった。舌の動きが雑で、とても独りよがりなキスだったからだ。
洋服をはぎ取る時も、すごく乱暴だった。強い力で引っ張るから、シャツが破れてしまうかと思った。
裸になった後は力ずくでうつ伏せにされ、枕に顔を叩き付けられて、その衝撃で鼻が折れるかと思った。
愛撫もすごく強引で、まだ準備が整っていないのに、いきなり複数の指が僕の中に入ってきた。
「痛い……やめて」
哀願しても、リオンはそれをやめなかった。あまりの苦痛に、涙が零れ落ちそうになる。
「ねぇ、痛い」
「我慢しろ!」
彼はきっと、何を言ってもやめてくれない。それが分かったから、痛みに耐えるしかなかった。
それでもリオンと1つになり、彼が激しく腰を揺すると、すぐに気持ちが良くなってきた。
頭を押さえつけられて苦しいはずなのに、全身に襲いかかる快感がそれを忘れさせてくれた。
両手で抱えた枕から、リオンの香りがした。そして背中に、熱い吐息を感じた。
リオンは遠慮なしに深い所をグイグイ攻めてくる。そして器用な指が、大きくなったペニスを可愛がってくれる。
体の中にリオンを感じながら、ペニスを撫でてもらうのがすごく好きだった。本当は乱暴なセックスも、かなり好きだ。
「もうイキそう……」
「ふざけるな! 我慢しろ!」
「だって……」
言い訳の途中で射精してしまった。その時リオンが、チッと舌打ちをした。
でもそんな事がどうでもよくなるほど気持ちが良かった。
いつも思う事だけど、こいつのテクニックはすごすぎる。
こんなの、いったいどこで覚えたんだよ。

 行為が終わると、リオンはシーツにくるまり、僕に背を向けて体を休めた。
本当は細い肩を抱きしめたかったけど、とてもそんな空気ではなかった。
「お前は早すぎる。もっと楽しませろよ」
彼は壁に向かって悪態をついた。
僕が早いのは事実だったけど、それはリオンがそうさせるんだ。でももちろん、そんな事を口走ったりはできなかった。
リオンはイライラした様子で頭を掻きむしった。
薄い日差しが彼の肌を光らせ、張り詰めた空気が部屋中に漂っていた。
僕の計画は頓挫した。これではもうサプライズどころではなかった。
彼がこんなに不機嫌ではどうしようもない。今はとにかく退散するしかないだろう。
僕はベッドの上で洋服を着て身支度を整えた。その前も後も、彼は一度もこっちを向いてはくれなかった。
「バイトに戻らなきゃいけないから、もう行くよ」
リオンは僕の声に軽く手を上げただけで、バイバイすらも言ってくれなかった。

*   *   *

 それから2日後の朝、僕はリオンにメッセージを送った。この前は機嫌が悪かったけど、そろそろほとぼりが冷める頃だと思ったからだ。
だけど彼はなかなか返事をくれなかった。
ちょうどバイトも終わり、これからは夏休みを楽しめるという時だったのに、大好きな彼と連絡が取れずやきもきした。
何度メッセージを送っても、リオンからの返事はない。返事どころか、僕からのメッセージを読んだ形跡すらなかった。
一人暮らしのアパートは、朝からとても暑かった。
電気代の節約のために時々エアコンを停止するけど、すぐに耐えられなくなってまたエアコンを動かした。
生活費は仕送りで賄っていて、余計なお金はほとんどないから、派手な遊びはできそうにない。 それでもリオンと会いたかったし、2人で遊びに行きたかった。
何より僕は、まだ彼にプレゼントを渡せていなかった。早くサプライズを成功させて、リオンの喜ぶ顔を見たかった。
5分おきにスマホをチェックしているのに、彼からのアクションはまったくない。 今までこんな事は一度もなかったのに、いったいどうなっているんだろう。
何もやる気が起きなくて、部屋の隅でへたり込んだ。
リオンに会いたい。
その思いは募るばかりで、本当に何も手に付かなかった。
全然連絡をくれないのも気になるけど、僕からのメッセージを一切見てくれていない事が不安だった。
もしかしてまだ機嫌が直っていないんだろうか。それとも、もう僕と別れたいんだろうか。
急に病気になって、スマホを操作する事もできないとか?
どこかで突然倒れて、意識不明になっちゃったとか?
そんな事を考え始めると、ますます不安が高まってきた。
何も分からない状況で、様々な考えが浮かんでは消えていき、僕にはもう気の休まる時がなかった。
「あぁ、もう嫌だ!」
1人で叫んで、1人で床に寝ころんだ。
リオンに言われた通り、僕は暑さで頭がおかしくなったのかもしれない。


 とうとうそのまま夜になって、もうスマホを見るのはやめてしまった。
窓を開けて空を見上げると、星が光っていた。夜になっても気温が高くて、外の風は熱気を帯びていた。
心はすごくざわついていた。リオンを失ってしまいそうな不安が、僕の心を支配していたのだ。
誰にも紹介する事はできないけど、リオンは僕の自慢の彼だった。目鼻立ちが整っていて、立ち姿は凛々しくて、誰よりも綺麗な子だ。
生意気で乱暴でちっとも可愛げがないけど、全部含めて好きだった。
彼との歴史はとても浅い。だけどリオンとの出会いは、僕にとっては事件だった。
リオンと一緒にいられる自分が、すごく誇らしかった。あんなに綺麗な子が僕を選んでくれて、本当に嬉しかった。
僕にはそれまで誇れる物なんか何一つなかったのに、それを不憫に思った神様が、特大のプレゼントをしてくれたんだと思っていた。
だからずっと彼を大事にしてきた。リオンは僕のすべてだった。
もしも彼を失ってしまったら、きっと太陽も昇らない。僕にとってリオンは、そのぐらい大きな存在だった。
このまま朝が来なかったらどうしよう。僕の上に、再び太陽は昇ってくれるだろうか。
ぼんやり星を眺めていた時、突然スマホが鳴り出した。 慌てて確認すると、知らない番号から電話が入っているのが分かった。
いつもなら、そんな電話は無視するはずだった。だけどこの時は誰かと話したくて、少し迷った挙句に電話を繋いでしまった。
「……もしもし」
とりあえず応答はしたけど、どうせ何かの営業の電話だと思っていた。だけどその後、聞き慣れた声が僕の耳に響いたのだった。
「俺だよ。今どこにいる?」
「リオン? 僕は家にいるよ。リオンはどこにいるの?」
「この前会ったカフェにいるから、すぐに来い」
いつもの彼らしく、生意気な口調でそれだけ言って、返事もしないうちに電話は切れた。
でも僕を動かすにはそれだけで十分だった。その後すぐに愛用のリュックを肩に掛け、急いで部屋を飛び出した。

 息を切らしてカフェの入口に立つと、窓際の席にリオンの姿を見つけた。その時店内はほとんど満席に近かった。
彼は4〜5人の友達と同席していて、テーブルを叩きながら大笑いをしているところだった。
それを見た時、急激に体の力が抜けていった。彼の無事が分かって、本当に安心したからだ。
リオンはとても楽しそうだった。
顔をクシャクシャにして、表情豊かに子供っぽく笑う。そんな砕けた彼を見たのは、この時が初めてだった。
リオンの元気な姿を見てほっとしたのは事実だった。だけどそこに僕の居場所はなかった。 友達と笑い合う彼はとても遠く感じて、その中に入っていく事がどうしてもできなかった。
あんなに楽しそうにしてるのに、邪魔をしてはいけない。
そう思った時、緩んだ表情のリオンが僕を見つめた。彼は僕を見るなり真顔に戻り、すぐに席を立ってこっちへ近付いてきた。
「お前遅いよ。行くぞ」
「友達が一緒なのに、いいの?」
「あいつらにはバイバイしてきたから。ほら、行くぞ」
僕はリオンに腕を引っ張られてカフェを出た。夜の繁華街はネオンが輝き、人も車も多かった。
彼は僕を連れて人ごみの中を歩き、しばらくすると細い路地を左へ曲がった。その時はもう体中に汗が滲んでいた。
リオンは古ぼけたビルの前で立ち止まり、きつい目をして僕を睨み付けた。その様子を見て、彼が今も不機嫌である事を悟った。
「お前いつからバイト始めたんだよ。やっと夏休みになったのに、バイトがあるなら遊べないじゃん」
「……」
「お前は俺の物だろ? 黙って勝手な事するなよ」
想像もしていなかった事を言われて、言葉を失った。まさかそんな事で怒っているなんて、思いもしなかった。
自分は適当に友達と遊んでるくせに、僕にはいつも体を空けておけっていうのか?
その根拠は、僕がリオンの物だから?
「黙ってないでなんとか言えよ」
リオンはシャツの袖口で顔の汗を拭き、相変わらず僕を睨み付けていた。
隣のビルのネオンが、その目を赤く光らせた。僕はその瞬間に、思わず口元がほころんだ。
こいつ、可愛いところあるじゃないか。
僕が内緒でバイトを始めて、思うように会えなくなると思って、それでこんなに怒っているなんて。
自分は忙しくしてるくせに、僕にはそれを許さないなんて、まるで子供の言い草だ。
「何ニヤニヤしてるんだよ」
口を尖らせてそう言う彼が、とても愛しかった。 僕が少しは愛されている事が分かって、本当にほっとした。
「バイトはもう終わったよ。だから、これからはいつでも好きな時に会えるよ」
赤く光る目の表情が、その時少し和らいだ。 それでも彼は、いつもの生意気な自分を崩そうとはしなかった。
「それならそうと言ってくれれば良かっただろ」
「僕、リオンに何回もメッセージを送ったよ。でも見てくれてないよね。ずっと返事がないから心配したんだよ」
うまくいけば彼との関係性が逆転できそうなチャンスだったのに、どうして涙が込み上げてくるのか分からなかった。
朝からずっと返事を待って、いろいろ心配して、彼を失ってしまいそうな不安に襲われたのを思い出したのかもしれない。
寸前のところで涙を堪える僕の目の前に、リオンがスマホをかざした。 彼が電源ボタンを押すと、スマホは白い光を放った。でもそれは一瞬だけで、その光はあっという間に消えてしまった。
「スマホがぶっ壊れたんだよ。うまく電源が入らないんだ。別にお前を無視したわけじゃないぞ」
そう言われて、今がサプライズを実行する時だと思った。 僕はリュックの中から、買ったばかりのスマホが入った箱を取り出し、それを彼に手渡した。
「これ、リオンが欲しがってたやつ」
彼は大きく目を見開いて、僕と白い箱を交互に見つめた。
箱を開けて中身を確かめても、喜ぶそぶりは見せなかった。それよりも、思いがけないプレゼントに戸惑っているようだった。
この時彼は、怒る必要がなかった事を理解したはずだ。
「このためにバイトしてたのか? こんな物受け取れないよ」
「リオンのためじゃない。僕のために受け取って。連絡が取れないとまた不安になるから」
夏の夜の熱気が僕の肌を包み込んだ。 顔の汗を拭うふりをして、今にも頬に零れ落ちそうな涙をそっと払い除けた。
今夜のリオンはいつも以上に綺麗だった。透き通るような肌は輝きを増して、彼そのものが星のように思えた。
道行く人たちが、全員その姿を振り返る。そんなリオンは、やっぱり僕の自慢の彼だった。
「仕方ない。そんなに言うなら受け取ってやるよ」
彼はそう言って軽く笑い、白い箱をシャツの裾に擦り付けた。
本当は嬉しいくせに、素直に喜ばないのが彼らしい。そう思ったから、それで満足した。
僕はまた腕を引っ張られて、古ぼけたビルの裏側へ連れて行かれた。 何かの配管がむき出しになっていて、地面に空のペットボトルが転がっている、そんな味気ない場所だ。
どこからか漏れてくる明かりが、リオンの姿を半分照らした。彼は穏やかに微笑んで、そっと僕の頬を包み込んだ。
ゆっくり目を閉じると、リオンがキスをしてくれた。
それはとても優しいキスだった。 舌の動きが柔らかい。僕が求める所を、ゆっくり優しく攻めてくれる。
リオンはこうして、乱暴なキスと甘いキスを使い分ける事ができるんだ。
こんなの、いったいどこで覚えたんだよ。


 時間が遅くなると、リオンは僕を家まで送ると言い出した。 僕はそれを断ろうとしたけど、彼はそれを許さなかった。
「1人で帰れるよ」
「途中でカツアゲされたら困るだろ?」
彼は表情もなくそう言って、リュックを持ってくれた。
まだ幼さが残っているくせに、こうして大人ぶって見せる。自分の弱さを隠すように、いつも生意気な口を利く。
そんなリオンが好きだから、何も気付かないふりをした。
ネオンを背にして歩き出すと、2人の手が時々ぶつかった。本当はその手を握りしめたいのに、それができないのがもどかしかった。
その代わりに、ふんわり風に揺れる茶色の髪に触れた。すると彼は、少しくすぐったそうな顔をしてその手を払い除けた。
「髪が伸びたね」
「もっと伸ばした方がいいか?」
「うん。そう思う」
「じゃあ切るよ」
「なんだよそれ!」
僕がふて腐れて見せると、リオンは顔をクシャクシャにして微笑んだ。
虚勢を張るのを忘れて、少し油断して、子供っぽく笑う彼はとても可愛かった。

 明るい繁華街を抜けると、静かな住宅街が近付いてきた。
手前に小さな川が流れていて、短い橋を渡るとコンビニがあり、その先にはアパートが幾つも並んでいる。遠くの方には、窓の明かりがポツポツと見えた。
僕たちは街灯に照らされる静かな道を歩き続けた。
このまっすぐな道がどこまでも続いて、ずっと2人で歩いていけたらいいのに。
そう思ってできるだけゆっくり歩いたのに、あっという間にアパートの前に辿り着いてしまった。
僕の部屋には既に明かりが灯っていた。慌てて出かけたから、電気を消すのを忘れて出てしまったようだ。
アパートの階段の横で、リオンが僕にリュックを渡してくれた。 それほど重い物が入っているわけでもないのに、荷物を持って歩いてくれた事が嬉しかった。
もう一度風に揺れる髪に触れたけど、彼はもうその手を拒む事はなかった。
リオンは切れ長の目をまっすぐ僕に向けていた。そして僕も、リオンだけを見つめていた。
「じゃあ、帰るよ。友達のところに戻らなくちゃいけないから」
彼は嘘をついた。さっきは友達にバイバイしてきたと言ったのに。
リオンは少し名残惜しそうに、僕の言葉を待っていた。 平気な顔をしているように見えるけど、その目の奥に潜む感情は隠しきれていない。
離れたくない。ずっと一緒にいたい。帰らないで。泊まっていって。
どの言葉を選んでも、リオンを困らせるのが分かっていた。
彼には夜の心配事がある。だから、すべての言葉を呑み込んだ。
リオンのおねしょを知った時、僕の心は華やいだ。 いつも生意気な彼の意外な一面を見て、今までにない親近感を覚えたのだった。
完璧に見えるリオンにも、弱点はある。そんな当たり前の事が、僕には大きな発見だった。 平凡な僕と完璧な彼との距離が、ほんの数ミリ縮まったような気がして嬉しかった。
僕はリオンに相応しい男になりたかった。僕がリオンに思うように、リオンにも僕を自慢の彼と思ってもらいたかった。
そのために、もっと彼に近付きたかった。そしてあの時、少し近付けたような気がしていたのだ。
だけどそれは思い違いだった。
可愛らしい弱点を持つ彼は、今まで以上に魅力的で、僕らの距離はまた少し遠くなったのだ。
それでも寂しくはなかった。 僕の上にはまた太陽が昇る。僕たちには明日がある。だから、寂しいはずなんかなかった。
「リオン、好きだよ」
さっきは触れられなかった手を、何も恐れずに握った。
熱気を帯びた風が吹いて、茶色の髪がふんわりと揺れた。彼は僕をしっかり見下ろして、自信たっぷりに言い放った。
「分かってるよ。お前は俺にベタ惚れだろ?」
僕が笑うと、あっさり手を離して彼が帰っていった。 一度ぐらいは途中で振り向いてくれるかと思ったのに、そのまま角を曲がって姿を消した。
瞼の奥に、その幻影がいつまでも残った。それは細くて幼い少年の背中だった。
彼の名前は、リオン。
ルックスは完璧だけど、ひどく生意気なクソガキだ。
年上の僕に対してまったくリスペクトがなく、2人の関係性は常に彼が上位で、こっちはいつも泣かされてばかりだった。
でもそんなリオンが好きだった。口が悪くて生意気で、時々乱暴で時々優しい。そんな彼が大好きだ。
だから明日も、今のままの君でいて。僕は明日も、君を好きでいたいから。
END

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