好きだから、言えない 1
 「貴ちゃん、今日僕の部屋へ泊まりに来て」
俺は勇気にこのセリフを言われると、いつも心臓の動きが早くなってしまう。
今日は2人ともバイトが休みで、久しぶりに午後からゆっくり会う事ができた。
夕方のハンバーガーショップ。
俺たちはテーブルを挟んで見つめ合い、そのうちに勇気が例のセリフを口にした。
窓ガラスの向こうは、日が沈んでもう外の景色が青く変わっていた。
テーブルの上には食べ終えたハンバーガーの包み紙がくしゃっと丸めて置いてある。 勇気はウーロン茶の入ったドリンクカップを手にして、ストローでその中身をズズッと吸い上げた。
ハンバーガーも食べたし、ウーロン茶も飲み終えたし、だからこれからアパートへ帰って一晩中イチャイチャしよう。勇気はそう言いたいんだ。
彼はストローを口にくわえたまま上目遣いに俺を見上げ、その返事を待っていた。
ツンツンと立ち上がっている金色の髪が、クーラーの風によって時々揺れ動く。 一見きつそうに見えるつり上がった目にはブルーのカラーコンタクトレンズが入れられ、その青い目の向こうにはほんの少しの不安が見て取れる。
俺はまっすぐ彼に見つめられると、たったそれだけで彼を抱きたくなってしまう。 でも彼のアパートへ泊まりに行く事なんか、俺にはできやしない。
「ごめん、俺明日朝から用事があるし、それに……」
俺がそこまで言った時、勇気がフン、とそっぽ向いた。
形のいい耳が俺に向けられ、柔らかい耳たぶに飾られた銀色のピアスが鈍い光を放った。
「分かった。もういい」
勇気はもうほとんど中身のないドリンクカップを力強く握り締めながら、口にくわえたストローを歯で噛み始めた。
彼はイライラすると、いつもこの仕草を見せるんだ。

 「勇気、怒らないでよ」
ハンバーガーショップを出た後、勇気は口を尖らせながら俺の前を急ぎ足で歩いた。
もう外の景色は紺色に変わっていて、交通量の多い通りを歩くと車のライトが彼の姿を照らした。
勇気は俺がいくらなだめても足を止めようとはせず、アスファルトを蹴ってどんどん前を歩いて行った。
赤いTシャツを着た彼の背中がだんだん小さくなっていく。ブルージーンズを履いた彼の足はどんどん早くなる。
本当は、今すぐ彼に駆け寄って抱きしめたい。
でも俺にはそんな勇気がない。道路には車がいっぱい走っているし、周りにも人がいっぱいいて、そんな中で男の俺が彼を抱きしめる事なんかできやしない。
そのうち勇気の赤い背中が、前を歩く人たちの背中に紛れてほとんど見えなくなってきた。
俺は誰かの背中に紛れて動く彼に追いつこうと思い、走り出そうとした。
すると、勇気の方が先に走り出した。
彼のすぐ目の前には横断歩道があって、その青信号はすでに点滅を始めていた。
だめだ。このまま別れたら、きっと俺は後悔する。
だけど、もう遅すぎた。俺がやっと走り出した時にはもう目の前の信号が赤に変わり、信号待ちで止まっていた車が次々とスピードを上げて走り出していた。
横断歩道を渡り切った勇気が、俺を振り返る。
俺の隣で友達とじゃれ合っている女子高生たちが、金髪の彼を指さして 「かっこいい!」 と黄色い声を上げた。
勇気はその時、俺達の間を行き交う車の列の向こうで一瞬俯き、その後すぐに顔を上げて 「だいっきらい!」 と俺に向かって叫んだ。
その後彼は俺に背を向けて、本気で走り出した。
あっという間に小さくなる彼の背中が、涙でにじんで見えた。
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