好きだから、言えない 2
 俺は翌日の夜、車で勇気のバイト先へ行った。
彼は調理師学校の生徒だ。俺が勇気と初めて会った時、将来自分の店を持つのが夢だと彼は語った。
そんな彼のバイト先は、小さなイタリア料理のレストランだった。 レンガ造りの店舗はとてもセンスが良く、この店は女の子に人気があるらしい。
俺は店の裏側にある駐車場に車を止め、仕事を終えた彼が裏口から出てくるのを待っていた。
もうすぐ午後9時になる。今日彼は9時でバイトが終わりのはずだ。 それは彼が昨日自分で言っていた事だから間違いはない。
どうしても彼に謝りたくてここまで来たのに、いざ彼に会う時間が近づくとまた心臓の動きが早くなってしまう。
車の中から空を見上げると、薄い雲に囲まれた月がぼんやりと見えた。 でもしばらくすると丸い月は雲に隠れて見えなくなり、辺りは暗くなって、俺はなんだか悲しくなった。

 やがてフロントガラスの向こうに見える木のドアが開いて、そこから勇気が出てきた。
彼はTシャツにブルージーンズといういつものスタイルで、その日は白い大きなショルダーバッグを右肩に下げていた。
駐車場は暗いため、彼は俺が見ている事に気付かない。
俺はすぐに車を飛び出して彼に駆け寄ろうとした。だけどその時彼がドアの前で立ち止まり、ジーンズのポケットからたばこを取り出して1本口にくわえた。俺はそれを見た瞬間、車のライトを点灯して彼を照らした。
勇気は突然ライトを浴びて驚いた様子だったけど、彼を照らしたのが俺の車のライトだと気付くとすぐに走って来て車の助手席に乗ってくれた。

 「貴ちゃん……どうしたの?」
彼は車に乗り込むと、本当に驚いた声を出して俺を見つめた。 その時の彼は特別怒っている様子はなかった。その時の彼は、いつもの明るい勇気だった。
「勇気に会いに来たんだよ。いけなかった?」
「ううん」
彼が小さくそう言って首を振った時、今まで雲に隠れていた丸い月が再び姿を現して勇気の端正な顔を照らした。
面長で、肌がスベスベで、顔のパーツはすべてがはっきりしていて、勇気は本当に綺麗で俺にはもったいない人だ。
「来てくれて嬉しい」
勇気がそう言った時、彼の目が微笑んだ。
彼に顔を近づけると、勇気がそっと目を閉じて、俺は彼の甘い唇にそっとキスをした。

 俺はその後彼を乗せて車を走らせ、公園の中に駐車して勇気と話をした。
彼はもちろん、俺がどうして自分を迎えに来たのか分かっていたはずだ。 前日あんな気まずい別れ方をしたんだから、その原因を作った俺が謝りに来た事は容易に想像できたはずだった。
窓から見える公園の芝生の上には、誰かが忘れていった青いグローブがあった。
俺達が乗っている車の横には真っ白い光を放つライトが立っていて、その光が俺と勇気を照らしていた。
「勇気、昨日はごめん」
彼の手を握り締めながらそう言うと、彼はその手を強く握り返してくれた。それは、許してあげるよ、の合図だった。
「貴ちゃん、聞いてもいい?」
彼は膝の上に乗せている白いショルダーバッグを見つめながら、小さな声でそう言った。 俺は、その後彼が何を言い出すのか黙って待ち続けた。
「どうして僕に嘘ついたの?」
「嘘?」
「この前、次の日朝7時にバイトが入ってるから今日は僕の所へ泊まれないって言ったよね。 僕、あの朝貴ちゃんに電話したんだよ。でも携帯電話が通じなかったから、バイト先に電話したんだ。 そうしたら、電話に出た人が貴ちゃんは午後からの出勤だって教えてくれた」
俺はその話を聞かされ、彼の手を握る自分の手に汗をかいた。
その時の事は俺もはっきり覚えている。あれはたしか1週間ぐらい前の事だ。 俺はあの日、勇気の部屋へ泊まりに来るよう誘われて、そして口から出まかせを言ってその誘いを断わった。
「僕に嘘ついて何してたの? 僕じゃない人と会ってたの?」
「ち……違う」
俺はそう言うだけで精一杯だった。これ以上嘘に嘘を重ねて彼を傷つける事もしたくなかった。

 勇気も俺も、しばらく黙ったまま俯いていた。
外も車内もすごく静かで、その沈黙がすごく怖かった。
でも、勇気はいつも優しい。彼が時々拗ねて見せるのは全部俺がそうさせる原因を作っているのであって、彼がわけもなく不機嫌になるような事は絶対になかった。
彼はいつも優しくて、何も答えられない俺を許してくれて、彼はその証拠に、きつく繋いでいた俺の手にキスをしてくれた。
その後勇気は顔を上げ、気まずい事なんか何もないよ、という目で俺を見つめてくれた。
でも、その青い目の奥にはいつも不安の色が見えた。そして彼をいつも不安にさせるのは、この俺なんだ。
「貴ちゃん、今日僕の部屋へ泊まりに来て」
俺は白い光の下で彼にそのセリフを言われた。また心臓の動きが早くなる。 でも、今回はもうだめだ。一生懸命に頭を回転させて彼を納得させるような断りの理由を考えたけど、そんな理由はどこを探しても見当たらなかった。
「貴ちゃん……本当は僕の事、好きじゃないの?」
すぐに返事をしない俺に不安を感じ、彼がまた俯いてしまった。俺はその時、また心臓の動きが早くなった。
俯いている彼の頬に流れ落ちる涙を、公園の白いライトがはっきりと照らし出した。
俺はその晩、勇気を出して彼の部屋へ泊まる決意をした。
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