真夜中の電話
 午後11時。そろそろ誠が眠りにつく時間だ。
俺はその時間、自分の部屋で必死に勉強していた。それは明日から夏休み前の試験が学校で始まるからだ。
この試験で赤点を取ると夏休みの間学校で補習授業を受ける事になってしまう。
俺はそれだけは絶対に避けたかった。今年の夏休みはずっと誠と一緒に過ごしたいと思っていたからだ。
でも残念ながら俺はあまり勉強が得意ではない。 だったらもっと前から試験勉強をすればいいのに、結局は一夜漬けになってしまった。
今日は朝まで勉強して、明日の試験をなんとか成功させたい。 そうは思ってみたものの、2時間机に向かうともう疲れてしまった。
机の上に広げた参考書の文字が少し霞んで見える。ずっと硬い椅子に座り続けていたからなんだか腰も痛い。
少し気分転換しよう。俺はそう思い、大きく伸びをした後ゆっくりと硬い椅子から立ち上がった。
その後俺は夜の風に当たりたくて窓を開けた。窓から顔を出すと、少し涼しい風が俺の髪を揺らした。
真っ黒な夜空にはポツポツと星が浮かんでいた。道路を見下ろすと、そこには人も車もほとんど見当たらなかった。
ふと誠の家に目を向けると、2階の彼の部屋に明かりが点いているのが分かった。
誠はまだ起きている。
それを知った俺はすぐに携帯電話を掴み、おやすみを言うために誠へ電話をかけたのだった。

 彼の部屋を見つめて携帯電話を耳に当てると、呼び出し音が2回聞こえた後誠がすぐ電話に出た。
「もしもし、拓也?」
弾むようなその声が耳に響いた時、頬にさわやかな風が吹いた。
「誠、まだ起きてたのか?」
「拓也は何してたの?」
「勉強だよ。試験に失敗したら夏休み中ずっと補習に通う事になっちゃうからさ」
「そんなの嫌だよ。がんばってね!」
彼に元気よくそう言われると本当にがんばろうという気持ちになれた。
夏休みになったら誠と一緒にいろんな事をして遊びたい。ずっとずっと彼と一緒にいたい。

 俺の目線はずっと誠の部屋の明かりを見つめていた。すると一瞬その白い光の向こうで人影が動いた。
俺は誠の影を遠くに見つけた時、ふと思い立って彼にある提案をした。
「誠、外へ出てこっちに手を振って」
彼の部屋には小さなバルコニーが付いていて、ガラス戸を空けると外へ出られるようになっていた。
しばらく待つとガラス戸の向こうでカーテンが揺れ、誠がバルコニーへと出てくるのが見えた。
俺は窓から身を乗り出して大きく彼に手を振った。
すると耳の奥に誠のはしゃぐ声が響き、白いパジャマを着た彼が遠くで俺に手を振ってくれた。
「そこから俺が見えるか?」
「うん。拓也、ここだよ!」
誠は遠く離れた場所でピョンピョン飛び跳ねながら何度も何度も手を振ってくれた。 そして彼が飛び跳ねるたびにだいぶ伸びてきた髪が揺れていた。
俺は誠のそんな子供っぽい仕草がとてもかわいいと思った。耳には楽しそうに笑う彼の声が響き、なんだかとても嬉しくなった。
俺たちはその時、たしかに同じ空の下にいた。
本当は勉強なんかやめて、今すぐ彼の所へ飛んで行きたかった。

*   *   *

 俺は誠の声を聞いた後、張り切って勉強に励んだ。
最初はノートの上に文字を書くシャープペンシルの音が耳についたけど、勉強に集中するとしだいにその音さえ聞こえなくなった。
でも俺の集中力は長くは続かなかった。
今日は徹夜で勉強しようと思っていたのに、数時間が過ぎるとまた疲れてきてしまった。
そのうちにだんだん目が開かなくなってきた。
視界が少しずつ狭くなり、参考書の文字もよく見えなくなってきた。
部屋の中には煌々と明かりが灯っているはずなのに、あっという間に目の前が薄暗くなってきた。
気が付くと、頬の下に机の冷たい感触があった。そして遂に目の前が真っ暗になってしまった。
俺は薄れ行く意識の中でずっとずっと叫び続けていた。
やばい。やばい。やばい。
このままでは眠ってしまう。
起きてちゃんと勉強しなくちゃ。
夏休みになったら誠と一緒に海へ行くんだ。それに映画にも行くんだ。
今がんばらないと、その楽しい時間は望めない。
それなのに、どうして目が開かないんだろう。俺はどうしてこんなに意志が弱いんだろう。

 もうほとんど意識を失いかけたその時、耳のそばでいきなりものすごく大きな音が鳴った。
俺はその瞬間体がビクッとして飛び起きた。
その時は口の周りにヨダレがまとわりついていた。そして頬には机の冷たい感触がはっきりと残されていた。
突然大きな音が聞こえて驚いたせいか、俺の心臓はバクバクいっていた。
その時俺の脳を目覚めさせたのは、携帯電話の着信音だった。 電話がかかってきた事を知らせる赤いランプがやけに目に沁みた。
「びっくりさせるなよ……」
そうつぶやきながら呆然と電話に出ると、耳の奥に誠のか細い声が響いた。
それはきっと単なる偶然に過ぎなかったけど、勉強を放棄して眠ってしまいそうな時に誠の電話が俺を起こしてくれたんだ。
「拓也……」
元気のない誠の声を聞いた瞬間、俺の脳は完全に目覚めた。
その時時刻は午前2時だった。
こんな時間に元気のない声で電話をしてくるなんて、怖い夢でも見たんだろうか。
俺は急に彼の事が心配になり、開け放たれた窓に近づいてできるだけ優しく彼に語りかけた。
「誠か? どうした?」
「目が覚めちゃった」
俺は窓から顔を出して外の風を浴びた。すると星空の下に1つの白い光が見え、その光の中に小さな誠の姿を発見した。 彼はその時、俺と同じ風を浴びていた。
「誠、俺が見えるか?」
俺は彼にそう言って手を振った。すると彼も小さく手を上げて俺に手を振ってくれた。
でも誠がさっきのように耳元で笑うような事はなかった。
「拓也の声が聞きたくなって電話しちゃった」
「俺も誠の声が聞けて嬉しいよ」
「本当?」
その時、俺の頭に誠と過ごすはずの未来が浮かんだ。
俺は誠と海へ行く。
そしてギラギラ輝く太陽の下で一緒に泳ぎ、時々ふざけて彼を海に沈めたりもする。
慌てて浮き上がった彼は頬を膨らませて怒り出し、塩辛い水を飲んでしまったためにゲホゲホと咳をする。
誠はしばらく不機嫌なままだけど、海の中でそっと彼の手を握ればきっとにっこり笑ってくれるはずだ。
でもそんな楽しい時間を過ごすためには、今しっかりと勉強をしなければならない。

 頭の中にそんな図を描いていた時、遠くに見える誠のある異変に気が付いた。
彼はさっきは白いパジャマを着ていたのに、今は黒っぽい色のパジャマに着替えていた。
そんな誠を見て俺はすべてを悟った。
誠はきっと、オネショして目が覚めたんだ。彼の声に元気がないのは、きっとそのせいに違いない。
「誠、好きだよ」
俺は電話口ではなく遠くに見える彼に向かってそう言った。
その時誠が一瞬俯いたのは、きっと涙を拭うためだと思った。
「俺も拓也が好きだよ」
耳に響くその声は、ちょっと鼻声だった。
夜空に輝く星の数は、さっきの何倍にも増えていた。
「俺、がんばるから。試験でいい成績を残して、夏休みの間ずっとお前と一緒にいられるようにするから」
「うん」
耳に響く誠の声が、少し明るくなったような気がした。
「お前の小さな悩みなんか、俺が全部吹き飛ばしてあげるよ」
俺は心の中でそうつぶやき、遠くの方で小さく手を振る誠に笑いかけた。

 俺たちはその時、たしかに同じ空の下にいた。
お互いの手が届かない所にいても、ちゃんと心は通じ合っていた。
本当は今すぐふっくらした頬を包みこんでキスしたい。
誠の白い肌の温もりがすごく恋しい。彼のパジャマを剥ぎ取って今すぐ誠を抱きしめたい。
彼を見つめてそんな事を考えていると、だんだん下半身がムズムズしてきた。
誠の電話は俺の性欲まで目覚めさせてしまったようだ。
このままじゃ修まらないから、ちょっと悲しいけどこの後1人で性欲を発散させよう。
そしてすっきりした後もう一度机に向かう事にしよう。
END

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